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有名私大による「通信教育詐欺」について

転載で抜けていた話。繰り返しとなる部分もあるが、この記事しか読まない人もいるため書いておきます。

 

よく「大人になれば働いて学費が払えるはず。それなのに貧乏で大学へ行けなかったと言うのは甘え」という差別主義者の中傷を目にする。

しかし現実には貧困家庭出身者が大人となってから大学へ行くのは、親に甘やかされて育った人が想像するほど簡単ではない。

何故なら貧困家庭出身者は、高校を出れば生活のためにすぐ働かなければならない。

まして、(私の時代だが)高校の学費で「奨学金」という名の借金を負っている場合、いったん社会人となってから学費のための借金を重ねるのは難しい。

 

それに大学側による貧困家庭出身者の差別もある。

今はどうだか分からないが、私の時代には露骨にあった。

 

私の体験を述べる。

貧乏ゆえに大学へ行けなかった私は社会人となってから差別を思い知り、大卒資格が欲しいと願うようになった。

だが結婚していて通学することが難しかったし、既に高校の奨学金を返済中なので重ねて奨学金(学資ローン含む)を受けることは難しい。

そこで通学の日数が少なく学費の安い通信大学を選んだ。

つまり当時の私にとって通信大学しか選択肢はなかったと言える。言わば、通信大学だけが私の唯一の希望だった。

 

ところが……この通信大学が「詐欺」だった。

安っぽくて怪しい大学に引っ掛かったわけではない。

日本で一流と呼ばれる有名私大が、「詐欺」をしていたのだ。

 

大学の名は伏せる。

詐欺であることの立証もできない。

裁判は起こされているが和解という曖昧な結果に終わった。それに毎年3%ほどの学生が卒業していたので、犯罪であることの立証は不可能だ。

(それにしても3%は低過ぎるが。大学側の言い分としては、「入学してくる下層民たちがバカばかりだから」であるらしい。※これは私が入学した時に教授が入学式で言ったこと)

ただ入学以降、自分の出したレポートが返って来ることが滅多になく、ごくたまに返って来たとしても「C」または「D」の判定ばかりで単位を得ることができなかったのは事実だ。

「まるで"単位を取ることができないのは、お前の能力がないせいだ”とごまかして単位を与えない、通信教育詐欺みたいだな」

と、始めは笑っていた。冗談として。

だがいくらなんでも全ての科目で同じ評価が返って来るというのはおかしい。

もしかしたら本当に詐欺なのかもしれない……と感じ始めた頃、はっきり「これは詐欺だ」と気付いたのは、一人の教授が私のレポートに「特A」を付けて返したからだった。

その教授は東大から移ってきた教授だった。彼はまだこの私大の詐欺方針を知らなかったのだろう。それとも知っていて背いていたのか。

ともかく、東大教授が「A」の上に絶賛を付けて「特A」を付けて返して来たために、この私大の「お前は単位を取る能力がないバカだからC以下なのだ」という評価が嘘であることに気付かされた。

 

これは憶測に過ぎないが、その私大は何らかの基準で学生を選別し、「この者は卒業させない」と決めた学生に低評価を付けていたのだと思う。

卒業できた3%とは、貧困家庭出身ではなかったのではないか。たとえば他大学の卒業者で、確実に親が金持ちであることが証明されている者たちなど。

(まあ、憶測に過ぎないから大学の名を伏せるしかないのだ。信じたくない人は信じなくていい。でもこれから通信大学へ行こうとしている貧困家庭出身の人は考え直してください)

 

この大学を相手として裁判が起こされたのは、私が「詐欺だ」と気付いた後だった。

裁判は表向き、レポート返還が遅いことについての訴えだったが、訴訟を起こした人ははっきりと「これは悪質な通信教育詐欺だ」と言っている。

今のようにネットが普及しておらず情報が得られなかった当時、さすがに私もまさか有名私大が小物の悪徳業者と同じような詐欺に手を染めているとは気付けず、騙されてしまった。

貴重な時間と金を失った。

それだけではなく、学習意欲も。人生に対する意欲も奪われた。

 

貧困者を騙して金を巻き上げる、本当に悪質極まる詐欺だ。

騙すだけではなく差別で若者の人生を徹底的に潰す最も残酷な行為だと思う。最近話題の貧困ビジネスより悪質かもしれない。

しかも一流大学がこのような詐欺をするとは。

日本の社会そのものに踏み躙られたようなもの。

正直に言えば私はその詐欺で打ちのめされ、以降、大卒資格を求めることをやめたのだった。

 

差別主義者たちは

「入学前に詐欺だと気付けなかったお前が悪い。勉強不足だ」

と言うだろう。どこまでも貧乏人にだけは過剰な責任を負わせて嘲笑しようとする。何故、貧乏人だけは裁判所や警察以上の調査能力がなければならないなどと非道なことが言えるのだろう? 

または、

「その大学が詐欺だと気付いた時点で、またすぐ他の大学へ入れば良かった」

と言う人もいるだろう。

どうして詐欺に遭って金と時間を失った直後に、さらに金と時間を払って他に賭けてみろと残酷なことが言えるのか? また詐欺に遭うかもしれないという恐れを抱きながら、また金と時間を溝に棄てろと言うのか?

 

誰も彼も、被害者をさらに殴ることに快楽を覚えている変態ばかりだ。

 

これが日本という国の闇の面。

この国には優しい人も多いが、差別主義者たちが支配しているのは現実である。

 

 

※この大学は「入学試験」と称して志願者に小論文を提出させている。もし、大学曰く「下層民は絶望的にバカだから単位取得するレベルのレポートが書けない」ということが事実なら、その入学試験の際に能力があるかないか判定できたはずだろう。能力がないと思うなら始めから不合格通知を送ればいい。(入学試験とは、そもそもそういうものだ)
不合格通知を送らず、全員を入学させ金を払わせた後に「絶望的にバカだから単位をやらない」と言うのは何故か? 金を巻き上げることだけが目的の悪徳詐欺大学だからだ。
言うことの全て、やることの全てが裏社会の悪徳商法にそっくりだ。
いやむしろ悪徳商法のほうがこの私大のやり口を模倣しているのだろう。さ日本で一流と呼ばれる私大だけあって、悪徳商法のパイオニアだったのですね。大学という閉鎖された空間での評価は、法的に詐欺を立証できないことを知っているし。
さすが有名大学です、犯罪も一流ですね。詐欺大国ニッポンを牽引するだけある。

 

※ちなみに私が通信大学のうちこの大学を選んだのは、スクーリング(通学授業)の行われる校舎がその当時の自宅から近く、交通費の節約になると思ったからです。運が悪かった。

 

「学費免除をしている大学はある(から国家的な奨学金は要らない?)」という意見

前記事のツイートで、気になったリプについて追記。

 

奨学金ではありませんが、大学によって学費全額免除、半額免除など他にも返還の必要のない奨学金の制度があります。私大だけでなく国公立大にもこの制度はあるのでよかったら調べてみてください。

(引用元 mさんツイート)

悪意の程度は低そうなのでツイートへの直リンクは控えるが、こういう意見はよく見かける。

この人たちも差別を助長しているのだよな。

 

このリプに筆者が書いたこと。

国の制度として給付型の奨学金を作らないと平等とは言えないですよ。学費免除の大学を見つけても遠方なら交通費、住居代がかかるし。 運良く学費免除の大学へ行けた子のケースだけピックアップし、「だから奨学金なんか要らない」「教育の機会は平等だ」と言うのは日本のためにならない。

 

なんだか皆さん日本の狭い国内だけで、「あなたは恵まれていて狡い」とか「いや狡くない」という議論をしているだけのような気がする。 優秀だが貧乏な子が金の心配で進学を諦めないようにする制度を作ったほうが、日本全体の能力を底上げし、国家全体の得になるというのに。

 

あと付け加えると、国立大で学費免除や猶予が始まったのは、貧困による進学困難問題が世の中で議論され始めて以降のこと。

このつい最近の事実をもって、過去に就学できなかった人を

「金がなくて進学できなかったは嘘。そんなの甘え」

と差別するのは間違っている。

(間違っているのに、現実にはさっそくこの事実に飛びついて差別している人たちがいる)

 

結局、日本人って島国根性で、同じ民族内で差別し苛めることを愉しんでいるだけだと思うね。

被差別者が

「貧乏で学校へ行けなかったんだ」

と抵抗すれば、

「そんなはずはない。本当に学校へ行きたいなら中学から働け(人権侵害の差別発言)」

「日本では教育の機会は平等だ(嘘)。お前は甘えている」

と非難し、寄ってたかって意見を潰す。その人の人生を潰し続ける。

 

今後も人生を潰される若者がたくさん生まれて構わない、と差別する者は言う。

「だって、私は恵まれているから関係ないもん」と。

(内心を代弁すると、「差別するの愉し~い! この差別やめたくないから、貧乏人の子を絶対に学校へやらないで!!」)

 

結果それが日本全体の損失となっているというのにな。

 

この国の人たちはいつまで狭い範囲で差別し合うオママゴトに酔っているのだろう。

同じ国内で自分より恵まれていない人を見つけ、苛めていれば人生満足なのか?

「自分さえ良ければいい」、「自分の子孫だけが永久的に優位でいて欲しい」という狭い視野の利己主義病がこの国には蔓延している。

 

このままでは全体の能力が低下し、日本が衰退する。

そんな衰退した国家で、相対的に子孫が優位だからと言って嬉しいのかね。

 

もっと広い視野を持つべきと思う。

外国に敗けないよう、国全体の力を底上げするために、優秀な子は国で責任を持って教育すべきだ。

それが国民全員にとって得。

 

極端な話、小学校入学時に実施しているIQテストで選別して優秀な子をピックアップして育てていってもいいのでは。

 

※あのIQテストは「遅れ」を検査するためだけに行われているとか。だから優秀な子がいても無視、なのか。本当にこの国がやることは無駄なことばかり。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 

田村淳氏のツイート、「教育の機会は平等ではない」を考えてみる

田村淳氏のツイート論争の件について、もう少し詳しく考えてみる。

前記事に引き続き参考のため再引用:

淳氏が
「親の収入と学力が比例してる時代に…ヨーイドンで平等の教育を子供達が受けられている訳がない」
と言ったのはたぶん、「金持ちの子は塾へ行けるけど貧困の子は行けない。そのために学力に差が出てしまう。これでは教育の機会が平等とは言えない」という意味で述べているのだと思う。

 

それもそうだけど、現実にもっと問題なのは、能力があるのに金がなくて大学へ進学できない子が多いということ。

 

学習塾へ一切通うことがなくてもトップの成績が獲れる子は実在する。
私もその一人だった。個人的事情でトップは目指さなかったけどね(笑)。

 

「余裕でトップは獲れたがチヤホヤされるのが怖くて獲らなかった」
などという告白はどうせ嘘だと思われるだろう。証明することも不可能だし。だから私の過去について信じてもらう必要はないけど、私の他にも塾へ一切通わないでトップクラスの成績を余裕で獲ってしまう子供は実在する。

 

我々のように圧倒で勉強が得意なタイプにとって、塾へ通う金があるかどうかは関係がないのだ。

(追記: もっとも、そのように優秀な子供が金持ちと同じように塾へ通って教育サポートを受けることができれば、さらに能力が増して世界の知性のトップとなれる。だから貧乏を理由に優秀な子供が塾へ行けないのは、日本の損失であることは確か)

 

炎上覚悟で書くと、親が高額な料金を払って塾へ通わせなければ大学進学さえできない子供は可哀想だと思う。
そちらのほうこそ、能力において「ヨーイドンで平等」だったとは言えない。

 

ただ、大学だけは金を払って卒業しなければ卒業資格がもらえないので、能力があってもどうにもならない。
現実に金がなければ絶対に手にすることができないのが大卒資格だ。
その金を払う力がなかったことだけを理由として、一生涯にわたり不当な差別を受けるのが日本社会だ。
(芸能界など特殊な世界以外では)

 

圧倒で優秀な子供も貧困を理由に大学進学を阻まれ、代わりに学習塾でサポートしなければ大学進学できない能力の子供たちが大学へ行っている――という現状が日本社会にはある。
この現状を前に「教育の機会は平等。社会のせいにするのは甘え」と言う差別主義者は発狂している。

こんな差別主義者たちが本当に能力がある子供を潰しているから、日本社会全体の能力がどんどん低下しているのだ。

 

淳氏のツイートには優しさがあったので嬉しかったが、「大学歴は要らない」という表現をしてしまうと、貧困故に大学進学できずにいる子供たちの希望を断つことになってしまう。

 

結果として、「貧困家庭の子供に奨学金を与える必要なんかない!(給付型奨学金に大反対)」とトンデモ発言をした上西小百合議員の意見と同じになる。

能力のある子供を貧困ゆえに差別し、寄ってたかって人生を潰す社会のままではいけない。
能力のある子にこそ社会で活躍するために大卒資格が必要だ。
(学歴だけで差別する企業が悪い、といくら言っても、日本社会で学歴差別をなくすのは無理だろう。未だに日本では給付型の奨学金があると思っている人が多いので、「大卒ではない=その学力が無かった人」というイメージはなくならない)

 

だから私は大卒の卒業程度認定資格を望む。
大卒卒業程度認定資格を作れば、年齢に関わらず進学できなかった人々を救うことができる。

 

これから社会へ出る若い世代にとって必要なのは、やはり能力のある子に奨学金を与える制度。
完全な教育無償化は日本の財政的に無理がある。
財政負担を理由にやめてしまうのはもってのほかだし、半端な「高校進学支援」や「大学進学支援」で雀の涙の学費を補助することにも全く意味がない。そんな半端な制度設立では選挙のためのパフォーマンスとしか思えない。

 

奨学金」とは学費を全額補助するもの(給付)だけを言う。
財政的に不可能ならせめて、能力のある子だけでも引き上げろ。

奨学金は所得で線引きするのではなく、能力で線引きして欲しい
能力のない子には残酷なようだが、能力のある子供だけでも引き上げるのが社会のためである。
そうしなければ日本社会は沈下していくいっぽうだ。



追記

最近になって急に与党が、憲法改正の餌として「大学教育も無償化しよう」という政策を掲げだした。
与党曰く、「憲法26条に"義務教育は無償とする"とあるので高等教育の無償化ができないのだ。だから憲法改正すべきだ」と。

前から思っていたが、この政党の人たちは日本語が極端に苦手で、小学生でも理解できる文章を理解できないようだ。
さすが、「でんでん」(笑)。「みぞうゆう」(笑)。

この条文のどこに「高等教育の無償化を禁じる」と書いてあるのだ?
そもそも(もとより)、この条文に「すべて国民は……能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する」と書いてあるのに日本社会では未だかつて実現されたことがない。
能力に応じた教育を受けられないのが日本という国だ。
現に私は能力に応じた教育を受ける権利を国家によって徹底的に奪われてきた

戦後、新たな被差別階級を作るため、貧困層が決して高等教育を受けることのないよう陰に陽に策を弄してきた政党がよくこんな嘘の政策を掲げられるものだ。
今回この餌で釣って憲法改正が叶ったら、一か月もしないうちにお得意の「憲法解釈捻じ曲げ」で大学無償化などやめてしまうのだろう?

だいたい「憲法は、政策に合わせて自由自在に解釈を捻じ曲げて良いものだ」と主張してきた政党が、道義の通ることについては「僕たち憲法に邪魔されてできないんでちゅ~」と嘘をつくとはどういうことか。

全てにおいて道義に反する悪事ばかり実行し、道義に適うことはあれこれ言い訳して決してやろうとしない。
私は陰謀論者ではないが、本当に彼らに限っては悪魔を崇拝していて、悪魔に操られているとしか思えないな。
※これは喩えですよ。現実には「悪魔」など存在しません。ただ虐待や快楽殺人などの悪しき習慣を繰り返して、精神的な「地獄」と呼ばれる意識に囚われている魂はいると思います。そういう魂に寄り添い、悪しき習慣に囚われて生きる人を「悪魔に操られている」と呼ぶのだと思います。

 

 

「貧困で大学へ行けなかったと言う者は甘えている」と説教するニート

しつこく足跡を付けてくるスパムブログの情報を探るために閲覧したら、酷い内容で驚いた。

スパムブログ運営者プロフィール:
平成生まれ。大卒。自称、文学賞を獲った作家。自称マルチな芸術家。
一流企業に勤めた経験があるけど働くのが嫌で会社を辞め、ニートした後、今は自称プロブロガー。


釣り目的だろうからURLは貼らないが、このスパムブログ
『貧困で大学へ行けなかったと言う奴の主張は全て言い訳』
などというタイトルの記事があり、貧困者を責める上から目線の説教が延々と書き綴られていた。

上のブロガーが、「貧困で大学へ行けなかったと言うのは言い訳」と思う理由:

1.今の豊かな時代に「貧困で大学へ行けない」なんてことが現実にあるとは信じられない、あり得ない。

2.仮に事実だったとしても、高校に行かず「高校卒業程度認定試験」を受けて高校の学費を浮かせれば余裕で大学学費を払えたはずだ。貧乏人が「高校の思い出が欲しい」と願うのは図々しい。甘えるな。

3.子供時代に貧乏だったとしても、いつまでも貧乏ではないはずだ。大人になってから稼いで自分で大学へ行けばいい。
(要旨)

身震いするほどの徹底した下衆ぶり。
自分は高い学費のかかる大学へ行かせてもらい、文学賞を獲って「作家」を名乗ったが作家業では食えず、就職しても仕事が嫌になりやめてニート後「プロブロガー」を名乗っている。
実は未だに親に食べさせてもらっているらしい極甘のニートさんが、独りで苦労している貧困者をつかまえて「甘えている」と上から目線で説教垂れるとはね。

大学の学費を払うために体を売ったり、食費を削って倒れる人たちもいるこの国の現状を前にして、よくこんな暴言を吐けるなと思う。

「貧乏人が高校の思い出を求めるのは甘え」などと言うのは人権侵害発言だろう。
どうして貧乏人には青春の思い出を求める資格がないのだ? 酷いヘイトだ。

さらにこのブロガー、
「高校学費を節約する手段があることを知らないのは無知だから。無知な自分が悪い」
と主張しているのだが、何故に貧乏人だけ、中学生の時点で世の中の全てを知らなければ責められるのか?

本当に汚い社会の現状は自分が差別を受けて初めて認識するもの。
中学生が社会の裏側を知ることは不可能。教師もここまで汚い社会を子供に教えることはしないだろう。と言うか恵まれた家庭で育った公務員はこんな闇を知らないだろうし。

それなのにどういうわけか貧乏人だけは社会の全知識を持たなければ「自己責任」と言う。
貧乏人だけに過酷で過剰な義務を負わせている。
それは貧乏人を「人間以下」とみなす心理から。

ちなみに「理由3」についてだが、社会人になってから大学へ通うのは、恵まれて育った人が想像するほど簡単ではない。
親に食べさせてもらえるニートとは違い、貧困家庭出身者は卒業後すぐ働かなければならないため悠長に大学へ通う時間がないからだ。
結婚して家族が出来ればさらに時間も金銭的な余裕もなくなる。
残された唯一の手段は通信大学へ通うということだが、後で書くように一部の通信大学には貧困者への差別があり、入学させても卒業資格を与えていないという黒い現実がある。

「高校へ行かなければ金が浮き、貧乏人でも大学へ行けるはず」
との主張も間違っている。
大学の学費などお小遣い程度で払えるイメージなのだろう。無知にも程がある。
現に、高校無償化制度施行以降にも大学学費を借金して生活苦に喘いでいる人が大勢いるというのに。

そもそも高校の学費支援制度がある今、上ブロガーが「高校へ行かなければ金が浮き、貧乏人でも大学へ行けるはず」説を掲げるのは謎に思う。
この制度を知らないらしい。
彼が「平成生まれ」と言っているのは嘘だろうな。
最近まで学生だった若者が高校無償化制度(現・高等学校等就学支援金制度)を知らないなど、あり得ない。
年配者だとしても重症の無知だ。制度施行は何年前だったか? 大卒なのに何年もニュースを見ていないのか。

「平成生まれはバカでクズ」というイメージをばらまいている公害ブロガーだと言える。
まともに働いて頑張っている平成生まれたちが気の毒だ。彼らに謝って欲しい。

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