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田村淳氏のツイート、「教育の機会は平等ではない」を考えてみる

田村淳氏のツイート論争の件について、もう少し詳しく考えてみる。

前記事に引き続き参考のため再引用:

淳氏が
「親の収入と学力が比例してる時代に…ヨーイドンで平等の教育を子供達が受けられている訳がない」
と言ったのはたぶん、「金持ちの子は塾へ行けるけど貧困の子は行けない。そのために学力に差が出てしまう。これでは教育の機会が平等とは言えない」という意味で述べているのだと思う。

 

それもそうだけど、現実にもっと問題なのは、能力があるのに金がなくて大学へ進学できない子が多いということ。

 

学習塾へ一切通うことがなくてもトップの成績が獲れる子は実在する。
私もその一人だった。個人的事情でトップは目指さなかったけどね(笑)。

 

「余裕でトップは獲れたがチヤホヤされるのが怖くて獲らなかった」
などという告白はどうせ嘘だと思われるだろう。証明することも不可能だし。だから私の過去について信じてもらう必要はないけど、私の他にも塾へ一切通わないでトップクラスの成績を余裕で獲ってしまう子供は実在する。

 

我々のように圧倒で勉強が得意なタイプにとって、塾へ通う金があるかどうかは関係がないのだ。

(追記: もっとも、そのように優秀な子供が金持ちと同じように塾へ通って教育サポートを受けることができれば、さらに能力が増して世界の知性のトップとなれる。だから貧乏を理由に優秀な子供が塾へ行けないのは、日本の損失であることは確か)

 

炎上覚悟で書くと、親が高額な料金を払って塾へ通わせなければ大学進学さえできない子供は可哀想だと思う。
そちらのほうこそ、能力において「ヨーイドンで平等」だったとは言えない。

 

ただ、大学だけは金を払って卒業しなければ卒業資格がもらえないので、能力があってもどうにもならない。
現実に金がなければ絶対に手にすることができないのが大卒資格だ。
その金を払う力がなかったことだけを理由として、一生涯にわたり不当な差別を受けるのが日本社会だ。
(芸能界など特殊な世界以外では)

 

圧倒で優秀な子供も貧困を理由に大学進学を阻まれ、代わりに学習塾でサポートしなければ大学進学できない能力の子供たちが大学へ行っている――という現状が日本社会にはある。
この現状を前に「教育の機会は平等。社会のせいにするのは甘え」と言う差別主義者は発狂している。

こんな差別主義者たちが本当に能力がある子供を潰しているから、日本社会全体の能力がどんどん低下しているのだ。

 

淳氏のツイートには優しさがあったので嬉しかったが、「大学歴は要らない」という表現をしてしまうと、貧困故に大学進学できずにいる子供たちの希望を断つことになってしまう。

 

結果として、「貧困家庭の子供に奨学金を与える必要なんかない!(給付型奨学金に大反対)」とトンデモ発言をした上西小百合議員の意見と同じになる。

能力のある子供を貧困ゆえに差別し、寄ってたかって人生を潰す社会のままではいけない。
能力のある子にこそ社会で活躍するために大卒資格が必要だ。
(学歴だけで差別する企業が悪い、といくら言っても、日本社会で学歴差別をなくすのは無理だろう。未だに日本では給付型の奨学金があると思っている人が多いので、「大卒ではない=その学力が無かった人」というイメージはなくならない)

 

だから私は大卒の卒業程度認定資格を望む。
大卒卒業程度認定資格を作れば、年齢に関わらず進学できなかった人々を救うことができる。

 

これから社会へ出る若い世代にとって必要なのは、やはり能力のある子に奨学金を与える制度。
完全な教育無償化は日本の財政的に無理がある。
財政負担を理由にやめてしまうのはもってのほかだし、半端な「高校進学支援」や「大学進学支援」で雀の涙の学費を補助することにも全く意味がない。そんな半端な制度設立では選挙のためのパフォーマンスとしか思えない。

 

奨学金」とは学費を全額補助するもの(給付)だけを言う。
財政的に不可能ならせめて、能力のある子だけでも引き上げろ。

奨学金は所得で線引きするのではなく、能力で線引きして欲しい
能力のない子には残酷なようだが、能力のある子供だけでも引き上げるのが社会のためである。
そうしなければ日本社会は沈下していくいっぽうだ。



追記

最近になって急に与党が、憲法改正の餌として「大学教育も無償化しよう」という政策を掲げだした。
与党曰く、「憲法26条に"義務教育は無償とする"とあるので高等教育の無償化ができないのだ。だから憲法改正すべきだ」と。

前から思っていたが、この政党の人たちは日本語が極端に苦手で、小学生でも理解できる文章を理解できないようだ。
さすが、「でんでん」(笑)。「みぞうゆう」(笑)。

この条文のどこに「高等教育の無償化を禁じる」と書いてあるのだ?
そもそも(もとより)、この条文に「すべて国民は……能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する」と書いてあるのに日本社会では未だかつて実現されたことがない。
能力に応じた教育を受けられないのが日本という国だ。
現に私は能力に応じた教育を受ける権利を国家によって徹底的に奪われてきた

戦後、新たな被差別階級を作るため、貧困層が決して高等教育を受けることのないよう陰に陽に策を弄してきた政党がよくこんな嘘の政策を掲げられるものだ。
今回この餌で釣って憲法改正が叶ったら、一か月もしないうちにお得意の「憲法解釈捻じ曲げ」で大学無償化などやめてしまうのだろう?

だいたい「憲法は、政策に合わせて自由自在に解釈を捻じ曲げて良いものだ」と主張してきた政党が、道義の通ることについては「僕たち憲法に邪魔されてできないんでちゅ~」と嘘をつくとはどういうことか。

全てにおいて道義に反する悪事ばかり実行し、道義に適うことはあれこれ言い訳して決してやろうとしない。
私は陰謀論者ではないが、本当に彼らに限っては悪魔を崇拝していて、悪魔に操られているとしか思えないな。
※これは喩えですよ。現実には「悪魔」など存在しません。ただ虐待や快楽殺人などの悪しき習慣を繰り返して、精神的な「地獄」と呼ばれる意識に囚われている魂はいると思います。そういう魂に寄り添い、悪しき習慣に囚われて生きる人を「悪魔に操られている」と呼ぶのだと思います。